本日、1月23日は湯川秀樹さんの誕生日です。

今回は湯川秀樹さんの生い立ちを振り返り、

湯川さんがなぜ多くの人に勇気や感動を与えたのか、

皆さまと一緒に共有できたらと思います。


湯川さんが生まれたのは1907年1月23日。

(1・2・3と覚えやすい誕生日ですね)

父小川琢治さんと母小雪さんの三男として東京に生まれました。


遊びや勉強に熱心な子どもだったそうで

小学校のころには高校で習うような

等差数列の公式を自分で考えてしまい、

周りはびっくり!!

その後の学校生活でも好きな科目は数学だったそうです。


性格は、子どものころから口数が少なく、

面倒なことはすべて「言わん」といって黙り込んでしまう。

「イワンちゃん」と呼ばれていたこともありました。


文学については小学校に入る前から

漢文で書かれた書物を読み始め、

古典文学作品や外国文学も!

小学校、中学校…と、たくさんの本を読みました。

湯川さんが同級生だったら、

おすすめの本を聞きたいものです。


物理学との出会いも、もちろん本から!

高校時代にドイツ語から英訳された『量子論』を

読んだのがきっかけだったそうです。

その後、大学の専門が決まり

物理学者への道のりが始まりました。


そして行き着いたのが「中間子理論」。

戦争が終わって4年後の1949年(昭和24年)、

湯川さんはノーベル物理学賞を

日本人として初めて受賞します。

ノーベル賞を受賞するには

専門分野の研究者たちからの推薦が必要です。

「湯川秀樹にぜひノーベル賞を!」と手を挙げた方たちが

世界にいると思うと、どれほど素晴らしい業績だったか

同じ日本人として誇りに思います。


また、戦争後の日本にとって、

湯川さんが国際的な名誉ある称号を

与えられたことは未来への希望となりました。


そして湯川さんは

戦後の日本の人たちを元気づけた研究者であるとともに

核廃絶の平和運動に邁進した人でした。


私が湯川邸を訪ねたとき、

本棚には物理学やその他文学、専門書はもちろん

平和に関する本がたくさんありました。

「世界は一つ」と湯川さんが心から願い、

運動してこられたことを知りました。


湯川さんが未来へ託した平和へのバトンを、

わたしたちも後世へ繋がなくてはいけません。

今日をきっかけに、

一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか?

これからも平和を願う国であり続けるために…


江上 萌


▼参考資料

湯川秀樹(1989)『湯川秀樹著作集7 回想・和歌』岩波書店

二反長 半(1994)『湯川秀樹』ポプラ社文庫

佐藤 文隆(2002)『湯川秀樹が考えたこと』岩波ジュニア新書


【写真中央】

京都市上京区東桜町の家にて、兄弟たちと。左から、茂樹、秀樹、珠樹、芳樹。





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