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湯川余話第十二回
西宮市と湯川秀樹

佐藤文隆(さとう ふみたか)

京都大学名誉教授

 秀樹さんのお住まいというと京都市があげられるが、生涯を通じてというと京都市の次に長いお住まいは西宮市で、その次はニューヨーク市となります。養子にいった湯川家は大阪であり、また中間子論発表当時は大阪大学勤務であったので、京都に次に長いお住まいは大阪市なのではと思いますがそうではなく、1933ー43年の10年間住んだ西宮市なのです。(ニューヨーク市には4年、大阪市とプリンストンには一年)

 中間子論50周年にあたる1985年には、海外からファインマンのような大物も参加した記念の国際会議があり、それに続いて西宮市で湯川記念碑の除幕式がありました。「中間子論誕生より50年を記念して永くそのことを伝えるため、1985年(昭和60年)に博士関係者の手により「中間子論誕生記念碑」建設の運びとなりました。記念碑は、西宮市立苦楽園小学校の校庭に建立されました。高さ70cm、幅105cmの黒々と光沢をもったスウェーデン産黒御影の面に、「中間子論誕生記念碑 未知の世界を探究する人々は地図を持たない旅人である 湯川秀樹」と刻まれています。碑文は湯川博士の自伝「旅人―ある物理学者の回想」から引用されています。文字は令弟小川環樹さんの筆になります」(西宮市教育委員会ホームページより転載)。

 この記念碑建立の発案は湯川の阪大時代の学生であった元神戸大学教授の谷川安孝であり、資金は賛同者から募金を募って建立された。建立場所をめぐって西宮市に接触したところ、市側は湯川との関係は全く認識してなかったようだが、これを期に文化資源として活かす市の取り組みが始まったのである。またこの時に嘗ての苦楽園の湯川家が現存していることも発見された。他人の手に渡っているが、オーナーは湯川絡みの家であることは聞いていたようである。

 

 この記念碑建立が縁となり、西宮市は1986年に「西宮湯川記念事業」を発足させ、現在も継続的している。事業内容には変遷はあるが、基礎物理学研究所および関西の大学の理論物理学者から成る運営委員会が協力している。理論物理学の若手研究者を対象とする西宮湯川記念賞は今年で38回を重ねている。また2005年までは海外の有力な専門家を招いて西宮湯川国際シンポジウムが市の財政的援助で市内で開かれていた。市民や子供向きのサイエンス活動もこの事業の一環で毎年開催されているようです。

 

 除幕式の時の最初の記念講演会では阪大の内山龍雄と並んで私も講演し、また京大現役中は運営委員として「事業」についていろいろ関与してきました。運営委員を辞めた2001年には西宮市教育功労者の表彰を受けました。

 

 

 

 

 

 

 

写真1 西宮市立苦楽園小学校の校庭に建立された「中間子論誕生記念碑」。

写真2 苦楽園の旧湯川家、手前から二軒目。1985年頃の情景。

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