湯川余話第七回
お髭事件
佐藤文隆(さとう ふみたか)
京都大学名誉教授
今回は、「お住まいシリーズ」ではなく、私の個人的な思い出です。
秀樹さんは5年に及ぶアメリカ滞在から1953年に帰国し、京都大学に新設された基礎物理学研究所(基研)の所長に着任されました。1953年「国際理論物理学会」、1965年「中間子論30周年記念国際会議」、1968年「基礎物理学研究所創立15年周年記念シンポジューム」の開催など、所長業でも大活躍されました。そして1970年の3月には京都大学の定年を迎えられましたが、基研の名誉所長として、その後もおなじペースで研究所にでておられました。しかし、1975年に前立腺ガンで手術、入院されました。それ以後、体調は完全には戻らず、週一ぐらいのペースで研究所に出ておられました。また退院後は顎ひげをはやされ、それがベトナムの革命家ホーチミンの髭に似ているのでホーチミン髭とも呼ばれていました。
現在の基研は旧館と新館の二つの建物を使っていますが、玄関前に湯川の銅像がある旧館は湯川記念館と呼ばれています。この建物の玄関を入ると左手にサロンと呼ばれる部屋があります。この連載の第一回で記したパナソニックホールが出来る前までは、サロンの東側は中庭に出られる開放的な場所でした。湯川所長時代、ここで毎週金曜日午後3時から茶話会が開かれる慣習がありました。研究者と事務員が参加する皐月会という会があって、年毎の会の世話人が会費徴収などをして、この茶話会を準備していました。
秀樹さんは1907年1月22日の生れなので、1977年は70歳の誕生日でした。この年の秋に準備されていた全国的な七十歳の盛大なお祝いの会とは別に、先生の出てこられた一月の研究所の茶話会でささやかな誕生会が開かれました。
「私たちはケーキの上に小さなローソクを7本立てて、ハッピーバースデーの歌を歌い、湯川先生がこれら7本のローソクの火を消されるのを待ちました。湯川先生は、お誕生ケーキのローソクの火を一息で消してやろうと勢いよくふっと吹かれたのですが、数本しか消えず、その弾みで湯川先生がお顔を前に突き出されたところ、まずいことに、お髭の先が火のついたローソクの上に行ってしまったのです。
ローソクの火はあっという間にお髭に燃え移り、めらめらとお髭が燃え始めたではありませんか。みるみる燃え広がりそうな勢いなので、カメラをもっていた私も「これはいかん」とテーブルのこちら側から手を出そうとしましたが届きません。湯川先生の隣に座っていた佐藤文隆さん(当時基研所長、宇宙論、現京都大学名誉教授)が、とっさにお髭を両手で挟み、ぱんぱんと何度かたたくと、やっと鎮火して事なきを得ました。ほんの一瞬の出来事で、まわりの人々もあ然としていましたが、ふとわれに返ると事の次第が理解できて、大笑いとなってしまったことでした。」
お誕生会での珍事を記したこの文章は牟田泰三『語り継ぎたい湯川秀樹のことば ―未来を過去のごとくに』(丸善出版社 2008年)から引用したものです。そこにはローソクを消そうとしておられる秀樹さんの様子を牟田さんが撮った写真も載っています。文中にある様に私が咄嗟にお髭の火を消して大事に至らなかったのですが、無意識にやったのでどう消したのかは定かでありません。
この頃牟田さんは研究所の助教授でした。東大大学院の後に京大の物理学科に来られた方で、その頃は本会顧問の坂東さんも私も三人とも物理教室の助手をしていました。そのあと牟田さんと私は一緒に基研に移りました。牟田さんは、1982年に広島大学の教授に転任され、その後、広島大学学長も歴任されました。広島地方の名士で、福山大学学長やマツダ株式会社社外取締役なども歴任されたようです。
写真は牟田泰三『語り継ぎたい湯川秀樹のことば』から転載