湯川余話第一回
湯川記念館のパナソニックホール
 

佐藤文隆(さとう ふみたか)

京都大学名誉教授

 京大北部構内の一画に湯川記念館という建物があり、基礎物理学研究所が使っている。私がこの研究所の所長に就いて間もなく、湯川博士70歳の1977年春の叙勲に向けた功績調書を書く仕事がまわってきた。そのとき、あれこれの前例の文章に倣うのでは博士の功績は表現出来ないことに気づき、戦後復興という言葉をキーワードに異例の官僚作文をしました。

 2003年の基礎物理学研究所五十周年を期して会議場の新設を実現すべく九後所長(当時、現在本会顧問)が努力され、私も湯川記念財団理事長として相談されていたが、そんな中、急にパナソニック様からの寄付で立派な会議場が実現しました。九後所長や松本副学長(当時)の尽力もあったが、一つの支えとなったのは1964年頃に松下幸之助の生誕の地に松下を敬愛する団体が建立した石碑の「松本幸之助君生誕の地 湯川秀樹書」という碑文を湯川博士が揮毫していることでした。写真は、2018年、和歌山市郊外の石碑を私が訪れた時のものです。

 お二人は生前に交流もあった、何よりもこの二人はともに日本の戦後復興を鼓舞してきた代表的な人物であります。若い人は「なぜ湯川記念館にパナソニックホール?」と訝られるかもしれないが、彼らが果たした「戦後復興」という共通の面に目を向けると非常に納得のいく結びつきなのです。本会ホームページの佐藤のメッセージの中に引用した岡本道雄元京大総長の文章、1949年のノーベル賞の報に接して「ひとり科学者のみでなく日本国民全体は自信喪失の首を初めて伸ばし、世界をかいま見る気持ちを味わったのでした。以来、この25年はそれを契機に日本人が窮乏のどん底から自ら努力で次第次第に自信をとりもどし国際社会に登場する四半世紀でありました」(1978年)を噛みしめたいと思います。

​ 和歌山市袮宜松下公園